猟奇的趣向
相手の苦痛が己の快楽に代わる。
相手の苦痛が己の快楽に代わる。
SMと猟奇的趣向は何が違うのでしょうか?と、どちらかの趣向をお持ちの方であればきっと疑問に思うでしょう。
両者の決定的な違い
猟奇的趣向とは、相手が苦痛に歪む顔を見て快感に浸るもの。一見するとSMと変わりありません。
一方のSMとは、サディストが相手を支配する事に対して快楽を覚え、パートナーであるマゾは支配される事に快楽を覚える。SとMが一対となって成り立つもの。そこには少なからず愛があります。
つまり猟奇的趣向とはマスターベーションなのです。相手は本気で嫌がっている事が重要で、リアルなSMとも呼べるかもしれません。
そこにSMのような知性やルールはありません。本能のおもむくまま、ただひたすらに被体をなぶります。またはなぶる姿を楽しみます。場合によっては被体が死んでもなお、オナニーを続ける場合もあります。
SMの場合はある意味、攻撃側であるサディストでさえマゾに縛られていると言っても過言ではありません。その縛りに耐えられるサディストのみが猟奇的領域の一歩手前で踏みとどまることができるのです。
ワガママなマゾに翻弄され、満足させる為にサービスを提供し続ける運命。
共存共栄であるがゆえに、法的にも問題がなく、社会的にも弊害ないままに過ごすことが可能です。
良心の呵責は?
猟奇的趣向者でも正常に良心がある方と、良心の呵責を持ち合わせていない不共感性体質であるサイコパスと呼ばれる方がいます。
良心のある方の場合は良心の呵責と猟奇的性欲との葛藤に苛まれています。良心が欲望に負けてしまうと実行、と言う事になるでしょう。
サイコパスで尚且つ猟奇的趣向がある方に限っては日々、至って危険な状態が継続されているので、いつ実行に移してもおかしくないでしょう。
猟奇的趣向、リョナ趣向の方々は本能に従順なれば社会的責任を負うことになり、本当に生きづらい世の中、と言う事になるかもしれませんね。
この猟奇的趣向については社会的不適合を最適化する術の記事につづきます。
小学生の頃から小動物を苛めたりするのが好きで20歳越えた今でも女性が殴られながら犯されるような動画に興味があります。私はリョナなのでしょうか。人の痛みは解ってるつもりです。